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建礼門院右京大夫集 現代語訳

227 - 229 すくふなる〜かばかりの

ただ胸がいっぱいになって涙を流しても流しても流し足りない思いばかりであるのも、何になろうかと悲しくて、(資盛が)後の世を必ず弔ってくれといったが、さだめて、死の間際も心慌ただしかったであろう。また偶然生き残って菩提を弔う人もさすがにあるだろうが、多くの(資盛の)周囲の人達も世にしのび隠れて、何事も万事思うようにいくまいなど、菩提を弔うのは我が身ひとりだけの務めのように思えて、

悲しいので、思いを起こして、古い手紙を選び出して写経用の紙にすきなおさせて、経を書き、また古い手紙をそのまま貼らせて、(資盛の)文字の見えるのが目に立って、まともに見てはいられないので、裏に別の紙をあてて、文字を隠して、手ずから地蔵六体を墨書きでお描き申し上げるなど、さまざまに志ばかりで弔うのも、人の見る目が遠慮するので、心の打ち解けあった人ではない者たちには知らせず、自分一人の気持ちだけで営む悲しさも、やはり耐えがたい。

すくふなる誓たのみてうつしおくをかならず六つの道しるべせよ

六道輪廻する衆生を救うという地蔵様の誓いを頼みにして、地蔵様のお姿を写しおきますので、六道輪廻から逃れる道標をしてください。

などと泣く泣く思い念じて、阿証上人の御許へ申し付けて、供養をさせ申し上げる。さすがに積もっていた手紙なので、多くて、尊勝陀羅尼、なにくれ、その他のことも多く書かせなどしたが、なまじ見まいと思うが、さすがに見える筆の跡、言葉どもが、こういう場合でなくてさえ昔の跡は涙がかかるならいであるのに、目もくらみ気も遠くなって、言いようがない。

その折にあんなことがあったとか、このようであったとか、私が言ったことの返しはどうであったとか、なにかと見えるが、胸をかきむしるように思われるので、ひとつも残さずみなそのように整理したところ、「見るもかなし」とかが源氏物語にあることが思い出されるが、どういう気持ちで生きながらえているのかと、つれなく思われる。

かなしさのいとゞもよほおす水ぐきのあとは中々消えねとぞ思ふ

悲しさをいっそう催す筆の跡などはかえって消えてしまってくれればと思います。

かばかりの思ひにたへてつれもなく猶ながらふる玉の緒もうし

これほどの思いに堪えて、無情にもなお生きながらえている私の命も情けなく思われます。

 

メモ

見るもかなし 『源氏物語』幻の巻に紫の上と死別した後、一周忌を経て、光源氏が「かきつめて見るもかなしもしほ草同じ雲居の煙ともなれ」と、紫の上の手紙をみな焼いてしまうシーンがある。


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