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建礼門院右京大夫集 現代語訳
204 またゝめし
寿永元暦などの頃、世の騒ぎは、夢とも幻とも、あわれとも、何とも、すべてすべて言うべき分際でもないので、万事どうであったとさえ思いわかれず、いっそのこと思い出すまいとばかり今でも思われる。親しくしていた人々が都を別れると聞いた秋のこと、あれこれ言っても思っても、心も言葉も及ばない。
実際に都落ちが行われるとき、私も人も、かねていつとも知る人がなかったので、ただ言いようもない夢のようなことだとばかり、近くで見る人も、遠くで聞く人も、見聞く人はみな迷われた。
世間一般が騒がしく行末がどうなるかわからないように噂されていた頃などは、蔵人頭で、とくに心やすくもしておられそうもなかったうえ、近親であった人が「つまらないことだ」など言うこともあって、さらにまた以前よりもいっそう人目を忍んだりして、自然と、とかく躊躇いながら逢って話をしていた時々も、ただ平生の言い草にも、
「このような世の騒ぎになったので、亡き人の数の中に入るだろうことは疑いないことです。そうなればさすがにいくらかは不憫の思ってくれることだろうか。たとえ何とも思わなくとも、このように親しく契りを交わしてからももう幾年というほどになった情として、後世の弔いのことを必ず思いやってくれ。また、もし命がたとえ今しばらくあるとしても、すべて今は、心を昔のままの身とは思うまいと、固く決心しているのです。その理由は、物をあわれとも、何の名残、その人のことなど思い立ったらならば、思うだけでも思い尽くせないだろう。
心の弱さも、どうあろうかとも自分ながらわからないので、何事も思いを捨てて、都の人のもとへ『その後いかが』など書いて文を出すことなども、どこの浦でもするまいと決心している身と決めているのを、あなたをおろそかに思って便りをしないなどと思わないでくれ。万事、ただ今から身を変えた身と思っているのに、それでもなお、ともすると元の心になってしまいそうなのは、ひどく残念だ」
と言ったことを、本当にその通りだと聞いたが、私に何を言うことができよう。涙の他は言葉もなかったが、ついに秋の初めの頃、夢の中で夢を聞いたような心地は、何にたとえられようか。さすがに心ある限り誰も、この感慨を言葉に漏らし、心に思わない人はいないが、一方で身近な人々でも、私の心の内まで汲み取ってくれる心の友は誰がいるだろうか、いないのだと思われたので、人にも物も言えず、つくづくと思い続けて、思いが胸にあふれそうになると、仏に向かい奉って、泣き暮らすばかりです。
しかしながら、実に命には寿命があって、自ら命を絶つこともできないばかりでなく、出家することさえ思うに任せず、一人で家を飛び出して出家することなどできないままに、なおそのままで生きながらえてゆかれるのが辛くて、
またゝめし類もしらぬうきことを見てもさてある身ぞうとましき
また例も類もないような辛いことを見ても、なおそのままで生きながらえている我が身が疎ましい。
メモ
「雲のうへに〜」は『新続古今和歌集』哀傷に所収。