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建礼門院右京大夫集 現代語訳
354 - 356 ながらへて〜君ぞなほ
建仁三年の年、十一月の二十何日であったか、五條の三位入道(藤原俊成)が九十歳になられたとお聞きになられて、院(後鳥羽院)より賀を賜われたが、贈り物の法服の装束の袈裟に歌を書けといって、師光入道の娘の宮内卿殿に歌は詠ませられて、私は、院のご命令で、紫の糸で刺繍して差し上げた。
ながらへてけさぞうれしき老(おい)の波やちよをかけて君につかへん
生きながらえて、こんなに栄誉を賜わる今朝はまことに嬉しい。いく千代までも君にお仕えしましょう。
とあったが、いただいた人の歌としては今少し上手なはずだがと、心の中で思われたけれども、そのままに刺繍しなければならないことなので、そのまま刺繍したが、「けさぞ」の「ぞ」の文字を「や」に、「つかへん」の「む」の文字を「よ」になるはずだったということで、急にその夜になって、二條殿へ参上せよとのご命令だと範光の中納言の車があるので、参上して、文字を二つ刺繍しなおして、そのまま賀も見たくて、夜通しお仕えして見たが、昔のことが思われて、たいそう歌道の面目が一通りでなく思われたので、翌朝早く五條の三位入道のもとへそのことを申し遣わす。
君ぞなほけふより後もかぞふべきこゝのかへりの十のゆく末
あなたは今日から後さら九十年を数えられることでしょう。
返事に、「かたじきないお召しでございましたので、やっとのことで参上して、人目がどんなに見苦しくと思ったが、このように喜びを言われた。やはり昔のことも物の道理も知ると知らぬとでは、まことに同じことではない」といって、
亀山のこゝのかへりのちとせをも君が御代にぞゝへゆづるべき
亀山(莱山山)の九千年の寿命をも、君の御代にお譲りしたいことです。
メモ
藤原俊成 藤原定家の父。
後鳥羽院 第82代天皇。高倉天皇の第4皇子。安徳天皇の異母弟。
宮内卿殿 後鳥羽天皇の官女。源師光の娘。
亀山 蓬莱山の異称。
この3首は『新拾遺和歌集』賀に所収。