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建礼門院右京大夫集 現代語訳
349 - 353 をぎの葉に〜思ひいづる
通宗(みちむね)の宰相中将が常に参上して、女官などを尋ねるが、遠くて、ちょっとすぐに行かれない。常に「女房に面会したいのだが、どうしようか」と言われたので、「この御簾の前で、咳払いをなさいましたら、聞きつけましょう」と申し上げると、「あてにならない」と言われたので、「ただこの御簾のそばに、立ち去らないで夜昼お仕えしています」と言った後、露もまだ乾かぬ早朝に来て、そのまま帰られたと聞いたので、取り次ぎをする召使の者に、どこまでも追いつけと言いつけて走らせた。
をぎの葉にあらぬ身になれば音もせでみるをもみぬと思ふなるべし
荻の葉ではない身なので、音もさせないで見ているのを、見ていないと思われたのでしょう。
通宗が別邸のある久我へ行かれてしまったのを、すぐに訪ねて、文は差し置いて帰ったところ、通宗が家来にいいつけて、右京大夫の使いを追わせたけれど、「決して返事を取るな」と教えていたので、「鳥羽院の南の門まで追ったが、茨、からたちにかかって、藪に逃げて、荷車があったのにまぎれた」というと、「それはよくやった」といって、その後、通宗は「そんな文は見なかった」と言い争い、また「参上いたしましたが、御簾の中に人がいないことがはっきりわかっていたので、帰ってしまったのです」というと、また「じっと動かないで見ていましたが、あまりに早急にお帰りになられましたね」など言い争いつつ、五節の頃になった。その後も、このことばかりを言い争う人々がいたが、豊明の節会の夜、さえかえった明け方に参上された様子が優雅であったのに、間もなく亡くなられた、あわれさはどうしようもなくて、その夜の明け方、雲の様子まで、亡き人の思い出の形見であると、人々が常に申し出たが、
思ひいづる心もげにぞつきはつる名残とゞむるありあけの月
亡き人の名残をとどめる有明の月のことを思い出しますと、心がまるで尽き果ててしまいます。
など思うとまた、
限りありてつくる命はいかゞせん昔の夢ぞなほたぐひなき
寿命で尽きる命はどうしようもありません。夢のようであった昔のことはやはり比類のない悲しいことでした。
露と消え煙(けぶり)ともなる人はなほはかなきあとをながめもすらむ
露が消えるように亡くなり、煙となって消えた人なら、それでもなお、亡くなった人の形見である空を眺めもしよう。
思ひいづることのみぞたゞ例(ためし)なきなべてはかなきことを聞くにも
世間一般のはなかい話をことを聞いても、私が思い出すことだけは、ただ比類のない悲しいことです。
メモ
通宗 源通宗。源通親の子。