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建礼門院右京大夫集 現代語訳

322 今はたゞ

若かった頃から身を無用なものと思っていたので、ただ心にかなわず生きながらえて命の続くのさえ厭わしくて、まして人中に混じって人と交わりをかわすのは、心にかけても思わなかったが、身近な人々が辞退できないように取りはからうことがあって、思いの外に、年を経て後に、また宮中に出仕するようになった。返す返すもはかりがたく、私の心の内も気が進まない。

藤壷(宮中の建物の名前)の方向などを見るにつけても、昔住み慣れたことばかり思い出されて悲しいが、おしつらいもあたりの様子も変わったことがなく、ただ私の心の内だけがくだけまさる悲しさ。曇りのない月を眺めて、いろいろなことが思い出されて、心が涙で曇ってしまう。

昔、宮中にお仕えしていた頃は、身分の低い殿上人として付き合っていた人々がおしもおされもせぬ上達部であるのも、ああであったろう、こうでもあったろうなどと、思い続けられて、宮仕えしない以前にもまして、心の内は、どうしようもなく悲しいことは、何に似ているだろうか。

高倉院の御様子にたいそうよく似ていらっしゃる後鳥羽天皇の御様子にも、人数にも入らぬ自分ひとりの心の中で堪え難く、昔が恋しくて、月を見て、

今はたゞしひてわするゝいにしへを思ひいでよとすめる月かげ

今は無理して忘れている昔を、思い出せとばかりに澄んでいる月の光です。

 

メモ

高倉院 後白河天皇の第7皇子。母は平清盛の妻・平時子の異母妹、平滋子。中宮は平徳子(建礼門院)。安徳天皇、後鳥羽天皇らの父。天皇在位期間は仁安3年(1168年)〜治承4年(1180年)、治承4年2月に言仁親王に譲位し(安徳天皇)、院政を開始したが、間もなく崩御。御齢21歳。

後鳥羽天皇 高倉天皇の第四皇子。安徳天皇の異母弟。

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