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建礼門院右京大夫集 現代語訳
271-280 七夕の〜人かずに
毎年、七夕に歌を詠んでまいりましたが、思い出しただけ、せうせうこれも書き付ける。
七夕のけふやうれしさつゝむらんあすの袖こそかねてしらるれ
七夕の今日、織姫は彦星との逢瀬のうれしさを袖に包んでいることでしょう。しかし、明日は別離で袖を濡らすことが今から思い知られます。
鐘の音も八(や)こゑの鳥も心あらば今宵ばかりは物わすれなれ
夜明けを知らせる鐘の音も夜明けにたびたび鳴く鶏の声も、心があるならば、今宵ばかりは夜明けを告げるのを忘れなさい。
契けるゆゑはしらねど七夕の年にひと夜ぞなほもどかしき
どんな理由で約束したのかは知らないが、七夕が年に一夜の逢瀬はやはりもどかしいことです。
こゑのあやは音ばかりして機織(はたおり)の露のぬきをや星にかすらむ
機織(キリギリスの異名)の鳴く声は機を織っているようだが、音ばかりで織物のあやは見えない。それは、横糸に用いるはずの露を、今宵七夕の星に貸したからであろうか。
さまざまに思ひやりつゝよそながらながめかねぬる星合(ほしあい)の空
様々に思いをめぐらし、よそながら七夕の空を眺めているが、じっと眺めていられないほどだ。
天の河漕ぎはなれゆく舟の中のあかね涙の色をしぞおもふ
天の河を漕ぎ離れゆく舟の中の、満たされない思いで涙をこぼす様子を思う。
きかばやなふたつの星の物がたりたらひの水にうつらましかば
聞きたいものだ。たらいの水に映るものならば、ふたつの星が物語るするのを。(たらいの水に二星を映すのが七夕の習わしであった)
世々ふとも絶えん物かは七夕にあさひく絲のながき契りは
七夕にひく麻糸のように長い織姫と彦星の契りは、幾世を経ても絶えることはありますまい。
おしなべて草村ごとにおく露のいもの葉しものけふにあふらむ
露はあらゆる草むらにおくものだが、七夕の今日は、芋の葉に包まれた露に会うのでしょう。
人かずに今日はかさましからごろも涙にくちぬ袂なりせば
人並みに今日は貸したことでしょうに。私の唐衣の袂が涙で朽ちていなければ。
(七夕の歌、続く)
メモ
「こゑのあやは〜」は『夫木抄』秋一に所収。
「きかばやな〜」は『夫木抄』秋一に所収。