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建礼門院右京大夫集 現代語訳

164 - 165 さこそげに/なにかげに

治承などの頃であったか、豊明節会の頃、上西門院の女房が物見に子車ばかりで参られて、それぞれ美しく見えた中に、小宰相どのといった人が美しく、額髪のかかり具合まで特に目にとまった。年来小宰相どのに心にかけていた人が、通盛(みちもり)の朝臣にとられて、嘆いていると聞いたので、なるほどもっともなことだと思われたので、その人のもとへ、

さこそげに君なげくらめ心そめし山のもみぢを人にをられて

心恋しく思っていたあの人を人にとられて、さぞかしあなたは嘆いていることでしょう。

返し

なにかげに人のをりけるもみぢ葉をこゝろうつして思ひそめけん

人が手折ったあの人をどうして心恋しく思いはじめたのでしょうか。

など申した折は、ただ戯れごとと思ったが、それゆえに海底の藻屑とまでなったのは、先例のないあわれさであることだ。よそで嘆いた人に手折られたならば、そうはならなかったであろう。かえすがえすも先例のない契りの深さには言葉が出ない。

 


メモ

上西門院 統子内親王(むねこないしんのう)。鳥羽天皇第2皇女、母は中宮・藤原璋子。同母兄弟に崇徳天皇後白河天皇など。後白河天皇の准母。

小宰相 刑部卿藤原憲方の娘。平通盛の妻。宮中一の美女とうたわれた。

それゆえ 小宰相が通盛の妻になったために。通盛が湊川の合戦で戦死し、それを聞いた小宰相は後を追って入水して果てた。

通盛 平通盛。平教盛の子。


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