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建礼門院右京大夫集 現代語訳

012 - 013 さもこそは/笛竹の

いつの年であったか、月が明るかった夜、うえ(高倉天皇)が御笛を御吹きになられていたのが、殊に趣深く聞こえたのをおほめ申し上げると、「あまりにほめすぎることです」と、この中宮(建礼門院)の御所に主上が御渡りになられた後に中宮が主上に申し上げなさったが、「それは嘘を申すぞ」との主上の仰せがあったと聞いたので、

さもこそはかずならずとも一すぢに心をさへもなきになすかな

それほどにものの数ではない私ですが、真心だけは持っております。それなのにその心さえもないものとするのですね。

とつぶやくのを、大納言君と申す、三条内大臣の御娘と聞こえた、その人が「右京大夫がこう申しております」と申し上げなさったところ、御笑いになられて、御扇の端にお書き付けになられた、

笛竹のうきねをこそはおもひしれ人のこゝろをなきにやはなす

私は自分の笛が下手なことは思い知っているのだ。どうして人の心をないものとしようか。

 


メモ

高倉天皇 後白河天皇の第7皇子。母は平清盛の妻・平時子の異母妹、平滋子。中宮は平徳子(建礼門院)。安徳天皇、後鳥羽天皇らの父。

大納言君 藤原実経の娘。藤原公教の孫。

三条内大臣 藤原公教。


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