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建礼門院右京大夫集 現代語訳

233 - 236 露きえし〜我身もし

北山の辺りに風情のある所があったが、はかなくなった人(平資盛)の領地で、花の盛り、秋の野辺などを見には、いつも通ったので、誰も見た折もあったが、ある聖のものになったと聞いたので、その聖とは縁があったので、せめての思い出の種にもと、しのんでわたってみると、(平資盛の)面影が目先にちらついて、また涙で胸のうちがくもってしまう様は言いようがない。

みがきつくろわれた庭も、浅茅の原、ヨモギの杣山のようになって、蔓草も苔も茂り、以前の面影もないところへ、植えた小萩は茂りあって、北南の庭に乱れ臥している。フジバカマはうち香り、ひとかたまりのススキも、まことに虫の音が茂る野辺と見えたので、車を寄せて降りた開き戸のもとで、ただひとり眺めていると、さまざまに思い出すことなど言葉に出して言うのもかえってつらい。いつものようにものを思われないように思い乱れる心のうちながら、

露きえしあとは野原となりはてゝありしにも似ずあれはてにけり

あの方が亡くなられた後は、野原となり果てて、以前の面影もなく荒れ果ててしまいました。

あとをだに形見にみんと思ひしをさてしもいとゞ悲しさぞゝふ

昔の跡だけでも形見に見ようと思ってきたのに、来てみると、いっそう悲しさが加わります。

東の庭には、柳桜の同じ高さであるのを交ぜて、たくさん植え並べたのを、ある年の春、いっしょに見たことも、ただ今のことのような心地がするが、梢ばかりがもとのままあるのも、心つらく悲しくて、

うゑてみし人はかれぬるあとになほ残る梢をみるも露けし

植えて見た人が亡くなられた後になお残る木の梢を見ると、涙がこぼれることです。

我身もし春まであらばたづねみむ花もその世のことな忘れそ

我身がもし春まであるならば、訪ねてみよう。花よ。お前もあの当時のことを忘れないでいてほしい。

 

メモ

 


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