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建礼門院右京大夫集 現代語訳
214 - 215 春の花の/かなしくも
また、「維盛の三位中将が熊野の海で身を投げた」と言って、人はあわれんだ。悲運にあった平家の人々はいずれも、今の世に見聞きするなかでもほんとうにすぐれていたなどと思い出されるけれども、維盛の際立って類がないほどの容姿は、ほんとうに昔から今までを見るなかで先例もなかったほどだ。だから折々に愛でない人があっただろうか。
法住寺で行われた後白河法皇五十の御賀で青海波(せいがいは。舞楽の名)を舞った折りなどは、「光源氏の先例も思い出される」などと人々は言った。「維盛の美しさに花の匂いもほんとうに圧倒されたにちがいない」などと人々が言うのが聞こえたのだ。
そんな特別な折々の面影はいうまでもないこととして、いつも親しく接して受ける感動は、どれかといいながらまたとくに思い出される。
維盛が「弟の資盛と同じことに思いなさい」と折々言われたのを、「そのように思っています」と社交的に答えたところ、「そうはいうけれども、本当なのだろうか」と言われたことなど、数々悲しいことも何ともいいようがない。
春の花の色によそへしおもかげのむなしき波のしたにくちゐる
桜梅少将などとその美しさを春の花の色になぞらえられていた面影は波の下に空しく朽ちてしまった。
かなしくもかゝるうきめをみ熊野の浦わの波に身をしずめける
悲しくもこのような憂き目を見て、み熊野の海岸の波に身を沈めたのだ。
メモ
光源氏の先例 『源氏物語』紅葉賀で光源氏が御賀に青海波を舞った。『源氏物語』花宴では光源氏の美しさを「花の匂ひもけおされて、なかなかことさましになむ」と表している。
「かなしくも〜」は『風雅和歌集』雑下に所収。