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建礼門院右京大夫集 現代語訳
002 雲のうへに
高倉の院が天皇御在位のころ、承安4年などといった年であろうか、正月1日、中宮(建礼門院徳子)の御方へ、主上(高倉天皇)がお渡りになられて、裾を長くした直衣のお姿、中宮(建礼門院)の御盛装なされたお姿などの、いつものこととは申しながら、目もあやに着飾っていらっしゃったのを、もののとおり(廊下? 物陰?)から見申し上げて心に思ったこと、
雲のうへにかゝる月日のひかりみる身のちぎりさへ嬉しとぞ思ふ
宮中でこのような主上と中宮の光り輝く姿を見ることができる我が身の宿縁さえ嬉しく思います。
メモ
高倉天皇 在位期間は仁安3年(1168年)〜治承4年(1180年)、治承4年2月に言仁親王に譲位し(安徳天皇)、院政を開始したが、間もなく崩御。御齢21歳。
承安4年 1174年。平清盛が大輪田泊(神戸)に人工島(経が島)の築造を開始した年。
建礼門院 平徳子。平清盛の娘、高倉天皇の中宮、安徳天皇の母。