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建礼門院右京大夫集 現代語訳

174 - 183 まし葉ふく〜かへりきて

宮にお仕えした雅頼の中納言の娘、輔どのといったのが物言いも上品で奥ゆかしく、愛嬌のある様子で、何事も申しかわしなどしたが、秋頃、山里にて湯治するということで久しくこもっておられたので、ことのついでに申し遣わす。

ましばふくねやの板間にもる月を霜とやはらふ秋のやまざと

秋の山里では、柴拭きの屋根の寝屋の板間に漏れてくる月の光を、霜と間違えてふり払ったりするのでしょうか。

めづらしくわが思ひやる鹿の音(ね)をあくまできくや秋のやまざと

都にいる私には珍しく思いやっている鹿の声を、秋の山里では飽きるまで聞いているのでしょうか。

いとゞしく露やおきそふかきくらし雨ふるころの秋のやまざと

空がかき曇り雨が降ってくる頃の秋の山里では、しとどにおいいた雨の露に加えて涙の露もおき添うのでしょうか。

うらやましほだぎゝりくべいかばかりみゆわかすらむ秋の山里

うらやましい。秋の山里では、薪を切りくべて、どんなにか入浴のためのお湯を沸かしてしいることでしょうか。

椎ひろふ賤(しづ)も道にやまようらん霧たちこむる秋のやまざと

椎の実を拾う身分の卑しい人も、霧が立ちこめる秋の山里では、道に迷うのだろうか。

きりもゑみをかしかるらんと思ふにもいでやゆかしや秋の山里

栗の実もイガから出て趣深いだろうと思うにつけても、いやもう心ひかれる秋の山里であることだ。

心ざしなしはさりともわがためにあるらむ物を秋のやまざと

贈り物はない、そうはいっても、秋の山里には私のために種々の物があるのでしょう。

このごろはかうじ橘なりまじり木(こ)の葉もみづや秋のやまざと

秋の山里では、この頃はコウジミカン、タチバナが入り混じって実り、木の葉も紅葉していることでしょうか。

鶉(うづら)ふす門田のなるこ引きなれて帰りうきにや秋のやまざと

ウズラが臥す門田の鳴子を引く山里での暮らしにも馴れて、秋の山里を立ち去りがたくなっていることでしょうか。

かへりきてそのみるばかりかたらなんゆかしかりつる秋の山里

帰ってきてあなたが見たままに語ってください。私が心ひかれた秋の山里の様子を。

返しも、戯れごとのようであったが、しばらくして忘れてしまった。

 


メモ

 


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