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建礼門院右京大夫集 現代語訳

216 - 220 さまざまに〜今はすべて

とくに資盛の兄弟たちに対してはみな深くうなずかれる。つらいことはそうであるが、この三位の中将(平維盛)、清経の中将(平清経)と、自分の心から進んで死を遂げたなど、さまざまの人が言い扱うが、資盛が生き残って、どんなに心細く思われていることだろうなど、さまざま思うが、かねて言ったことで、また何と思うだろうか。

便りにつけて言葉ひとつも聞かない。ただ都を出ての冬、わずかな便りにつけて、「申したように、今は身を変えたと思うのを、誰もそう思って、後世を弔ってください」とばかりあったので、確かな便りも知らず、こちらからわざわざ使いを出すことはできず、こちらからもいいようなく思いやられる心の内をもいいやることができずに、資盛の兄弟たちがこうなったとみな聞いた頃、確かな便りがあって、たしかに伝えるべきことがあったので、何度も「こうまでも申し上げますまいと思いますけれど」などと言って、

さまざまに心乱れてもしほ草かきあつむべき心地だにせず

さまざまに心乱れて、思いのすべてをこの手紙に書き尽くすことさえできそうにありません。

おなじ世と猶おもふこそかなしけれあるがあるにもあらぬこの世に

生きていても生きる甲斐のないこの世にあって、それでもなお、同じ世に生きているのだと思うと悲しいのです。

この兄弟たち(平維盛、清経)のことなどを言って、

思ふことを思ひやるにぞ思ひくだく思ひにそへていとゞ悲しき

あなたの思いを思いやってさまざまに心配して、それが私の心に加わっていっそう悲しいことです。

など申し上げた返事、さすがに嬉しいとのことをいって、「今はただ身の上も今日明日のことなので、重ね重ねすっかり思いあきらめてしまった心地である。心を込めてこの度だけは返事をしよう」とあって、

思ひとぢめ思ひきりてもたちかへりさすがに思うふ事ぞおほかる

思いを断ち、思い切っても、また元通りになって、さすがにものを思うことは多いものです。

今はすべてなにの情もあはれをも見もせじ聞きもせじとこそ思へ

 今はもう、どんな同情も愛情も、見もすまい聞きもすまいと思っているのです。

先立った人々のことを言って、

あるほどがあるにもあらぬうちに猶かく憂きことを見るぞ悲しき

生きているうちが生きていないようなこの世にあって、なおこのようなつらいことを見るのは悲しいことです。

とあったのを見た気持ちは、いっそう言葉にしようがない

 


メモ

平維盛 平重盛の嫡男。平清盛の孫。

平清経 平重盛の三男。平清盛の孫。

もしほ草 藻塩草。「かき」をいい出すための枕詞。

「おなじ世と〜」は『風雅和歌集』雑下に所収。

「あるほどが〜」は『玉葉和歌集』雑四に所収。


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